2020年8月27日 (木)

776.人を見て法を説く

昔からよく聞く言葉ですね。

その人をよく見て、その人のレベルに応じて話をしなさい、導きなさいということです。

「ついてこれるように育てなさい」と師匠が言うのは、こういうことなのだと思います。

しかし、この言葉を知っていても、なかなか実践できるものではありません。

それは、人間は、①人間力と②仕事力の二つの面があり、それぞれがどのくらいのレベルかによってまったく違うからです。

①人間力とは、人間性や心の力、性格など、②仕事力は、頭がいいかどうか、処理能力が高いかどうかなどですね。

それぞれの人が ①と②がまったく違うので、それぞれのレベルに応じて話をし、それぞれのレベルに応じて業務を任せてあげないと、ミスマッチを起こすのです。

要するに、小学生に高校レベルの話をしても、高校生に大人レベルの業務を任せても、なかなか簡単にはいかないのですね。

ですから、相手をよく見て、その人のレベルに合わせて導いてあげないといけないのです。

師匠は、われわれ弟子のレベルに合わせてご指導くださいます。

われわれが師匠に同じ話をしても、きつく叱られる弟子もいれば、甘く認めてもらう弟子もいます。

甘く認めてもらう場合は、「レベルの低いお前に言っても、わからんから」ということなのですが・・・(苦笑)。

しかし、それはわれわれを馬鹿にしているのではなく、その人のレベルに合わせてくれているのですね。

まさに、人を見て法を説くです。

ところで、われわれ弟子は師匠に叱ってもらえることが実力を認めていただいている証しといえますから、師匠に叱られることは勲章なのですね。

 

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2020年8月 6日 (木)

773.叱れる人になる

あなたは人を叱れますか?

感情で「怒る」ではなく、相手のために「叱る」です。

叱る相手は、我が子であったり、後輩であったり、部下であったり、関係はさまざまです。

場合によっては、友人や先輩なんてこともあります。

叱ると相手はイヤな思いをしますし、叱る側も気まずいものです。よって人間関係を損なう可能性があります。

だから、なかなか叱れないのですね。

ではどうしたら叱れるのか・・・? 私の経験では、ポイントは4つかと思います。これも師匠から学んだことです。

①叱る勇気をもつこと

人間関係を壊すからやめておこう、嫌われたくないからやめておこう、という恐怖心が湧いてきますから、この恐怖心に打ち克つ「勇気」が必要です。思い切って叱ってみましょう。

②叱れる人物であること

自分がいい加減な人間ではなかなか叱れません。口先だけでなく行動が伴う実践の人、そして結果を出せる人になりましょう。

③信念をもつこと

自分が絶対に正しいという自信、いわゆる信念がないとなかなか叱れないものです。信念をもつには、真剣に考え抜くこと、そして実践して確信になっていることが大事です。

④叱ることは利他行であること

自分のためでなく相手のために叱るのであれば、それは利他行です。叱るという人の成長を促す行為は、間違いなく愛なのです。

叱れる人って、素敵な人ですね。

 

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2020年3月26日 (木)

754.「厳しく叱り、教える」

これは師匠の人を育てる上でのスタンスです。

師匠は、想像をはるかに超えるくらいの厳しさで叱ります。

一般的に「これは厳しい」と感じる厳しさの少なくとも10倍くらい厳しいと思っていただければ、ちょうどいいかもしれません。

柔(やわ)な人は、とても耐えられませんから、ついていくことができません。

しかし、逆に、矛盾したことも言われます。

「ついてこれるように育てなさい」

ついてこれない部下がいたら、ついてこれるように上手に育てなさいというのですね。

しかし、それは決して「甘やかしなさい」というのではなく、あくまでも基本的なスタンスは「厳しく叱る」です。

これが真の愛情であり、中途半端な責任をもたない上っ面の愛情ではなく、本当に相手のことを考えてあげる真剣勝負の愛情なのですね。

しかし、厳しくしても「この人についていかなきゃ」と思わせるような、日常における上司の姿がないと、なかなかついてくるものではありません。

「2:6:2の原則」ですから上位2割くらいの人は、そんなことには関係なくついてきますが、それ以外の人は自己が確立されていませんから何らかの条件や理由がないとついてこないのですね。

例えば上司が、自分を犠牲にしてでも集団を守ろうとしているとか、皆が休んでいても粛々と努力しているとか、口先だけでなくしっかりと結果を出しているとか・・・ですね。

さて、あなたは、部下や後輩、そして子どもを 本気で厳しく叱り、教えることができていますか?

 

 

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2019年12月19日 (木)

740.優しいと甘いは違う

「優しい」と「甘い」は、似て非なるもの。

優しいのはいいのですが、甘いのはダメですね。ダメな子、ダメな人間をつくってしまいます。

私の周りにも甘やかされて育った人がたくさんいますが、本人は気づいていないのです。

そういう人は人間が弱いので、甘い方へ甘い方へ流れてしまい、ものごとが上手く運びません。

「小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり」と師匠から教わっていますが、本当の優しさには厳しさが必要なのですね。

本当にその人のことを思えば、厳しくしてあげた方がその人のためになります。

甘い人は、優しさのつもりで接しているのですが、相手の成長を抑制していることに気づかないのですね。

一見優しく見える甘い人の言葉や態度には、引っ掛からないように注意しなければなりません。

私も若いころは、周囲の人の甘い言葉に引っ掛かってしまい、ペースを緩めたり、辞めてしまったり、ダメな自分を納得させてきました。

それが、師匠の塾で多くの先輩たちから厳しいご指導をいただいてきたお陰で、いい緊張感をもって日々生きることができるようになり、徐々に意識も引き締まってきました。

心も身体も体質が変わった、という感じですね。

さて、周囲の人のあなたへの言葉や態度が本当の優しさなのか、それとも甘さなのか・・・、よくよく考えて、甘さには絶対に引っ掛からないように気をつけましょう。

 

 

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2019年7月11日 (木)

717.人前で叱る

皆さんは後輩や部下を人前で叱れますか?

自分の子供にはできても、他人となると難しいのではないでしょうか?

いや最近では、自分の子供でさえも厳しく叱れない親がいるようですね。

師匠は、人前で「厳しく、叱り、教える」と指導してくださっています。

しかし、人前で叱るのは勇気が要るものですね。

私も最初はなかなかできませんでした。

それが、自分が誰よりも必死にがんばっていると「こんなにがんばっている」という自負が自然と生まれ、勝手に叱れるようになってきたのですね。

ここでの大事なポイントは、自分や自分の会社のためでなく、社員のためにがんばっているという自負です。

自分や自分の会社のためにがんばるのは当たり前のことですから、人はついてきません。

他人である社員のためにがんばるという誠意と愛が勇気を与えてくれるのですね。

後ろめたさがない状態、これが勇気を自然と与えてくれるのです。

そして、人前で叱ってもついてくる関係を築かなければなりません。

ただ叱るだけでも人はついてきませんが、人前で叱ってもついてくるには叱る側の人間性が必要です。

普段から、感情で怒らない、言ったことは守る、「この人についていけば大丈夫」という結果を出している・・・。

みんなから信用され信頼されるような人間性がなければ人はついてこないものです。

人前で叱るには、相当な努力が必要なのですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2018年11月 8日 (木)

682.一生懸命がんばる社員を叱れるか?

なかなか難易度の高いことです。

師匠は平気で社員を厳しく叱ります。

立っていられないほどの剣幕で叱るのだそうです。

われわれ塾生も師匠から叱られますが、社員に対してはその何倍も厳しく、我々の想像を絶するほどなんだそうです。

私はまだまだ修行が足りないので師匠ほどの厳しさでは叱れませんが、一般の経営者に比べればまだ厳しい方だと思っています。

そして、叱れるか叱れないかは、社員に対して後ろめたさがあるかないかがポイントだと思っています。

だって何か後ろめたいことがあると「まあいいか」となりますからね。

結局、叱る勇気の問題なのですね。

こちらが頑張っていないと叱りにくいし、何かごまかしていると叱りにくい。

それでは勇気は出てこないのです。

社員が一生懸命がんばっていても、誤ったことをしていれば、しっかり正してあげるのですね。しっかり叱ってあげるのです。

おかしなものはおかしいと伝えてあげなければ、教育ではないのです。

こちらが社員のことを本当に大事に思っているか、ここですね。

さて、あなたはがんばる社員を叱れますか?

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2018年11月 1日 (木)

681.社員を育てるに担雪埋井

これは日本で最も大きな会計人集団の創始者である飯塚毅初代名誉会長がおっしゃった言葉の引用です。

飯塚先生は「人を育てるに担雪埋井」とおっしゃいましたが、人を育てることは「担雪埋井(たんせつまいせい)」そのものだなあということですね。

「担雪埋井」とは、雪を担いでその雪を井戸の中に入れても、雪はすぐに溶けてしまい井戸はなかなか埋まらないということです。

育てても、育てても、人はなかなか育たないということですね。

社員を真剣に育てたことがある人なら、深く納得されると思います。

子どもではなく、生徒ではなく、後輩ではなく、あくまでも社員です。

何が違うかというと、社員には給料や賞与というお金を仕事の対価という名目で払いますが、子ども、生徒、後輩には払いません。

私にとって社員を育てることは、子ども、生徒、後輩を育てることよりも難易度が高いのです。

実際、私には成人した子供が二人いますし、職員研修で長い間研修生を育ててきました。また学校時代も社会人になっても常に後輩がいますから私なりの指導をしてきています。

いろんな立場の人を育てた経験からですが、私の場合、子どもや研修生、後輩の方が楽でしたね。

子どもは自分の子ですから育てるのは当たり前。

研修生、後輩は、その人に給料を払うわけではありませんし、その人の人生に責任もありませんから、なかなか育たなくても腹は立ちません。

しかし、自分の会社の社員となると責任がありますし、うちの社員は単なる一社員ではなく、その人間の人生まで本気で考えて雇用していますから、まさに真剣勝負なのですね。

5年、10年経ってもなかなか育たない社員を見て、「ああ、担雪埋井だなあ」としみじみ思うわけです。

本当に人を育てようと思うなら、どうか「担雪埋井」という覚悟をもって育ててみてください。

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2018年4月 5日 (木)

651.ついてこれるように育てる

4月は年度初めで新社会人スタートの季節です。

新社会人の皆さんは希望を抱いてスタートを切るのですが、みんながみんな思うように成長していくわけではなく、いろんな壁にぶち当たって、多くの人がせっかく入った会社を去っていくようです。

新社会人もそうですが、人はなかなか育たないものなのですね。

師匠はこういうことがよくわかっているので、社員がついてこれるように利他の心(愛情)を注いでいきます。

仕事力と人間力の両方を身に着けさせようと、実践を通して育成していくのですね。

仕事力の方は基本的な業務であれば3年も必死にやれば誰でもできるようになりますが、いわゆる本当の一人前になるには少なくとも10年はかかります。

10年小僧というのはそういう意味ですね。

しかし、人間力の方は10年経ってもなかなか身につかず、人間力教育は延々とつづくのです。

するとだんだん育てるのが嫌になってしまい、終いには腹が立って社員を怒り散らし、社員が居つかなくなってしまうのですね。

師匠からせっかく人生の哲理を教わっても、なかなか社員には伝わらず歯がゆい思いをするのです。

そういう僕らに対し、師匠は「そんなに焦らんで、ついてこれるように育てなさい」と言われます。

社員のレベルに合わせ、社員がわかるように、熱意を込めて、社員がわかるまで教えなさいと言われるのです。

登山をして自分一人だけがぐいぐい登っていってもついてこれない者が出てきます。そのときは待ってあげたり、降りていって荷物を持ってあげたり、手を引いてあげる。

これはたまにはできても、ずっととなると、なかなかできることではありませんね。

でもこれが師匠のやり方なのですね。

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2018年3月 1日 (木)

646.教育とは実践させること

前回のブログNo.645で、勉強しても実践しなければ意味がないと書きました。

すなわち、子供や部下、社員にいくら勉強させても、実践が伴わなければ意味がないということです。

教育とは、実践させることなのですね。

いくら言葉で伝えても実践してみないと、それができるのか、できないのか、どのようにできるのか、どのようにできないのかがまったくわかりません。

また、勉強して知識として知っていても学校での勉強のように実際の仕事や生活で使わなければ意味がありません。

実践しなければ、人生の役には立たないのですね。

だから実践させないと教育にならないのです。

社長業も、初めての人はやってみないとわかりません。師匠の社長教育も、次から次へと部下に社長を任せて実践で教育していったのですね。

そして万が一のことがあっても、強大な力をもった師匠がいつでもその社長のフォローしますからまったく問題ないのです。

実践させて学ばせる、これがポイントなのですね。

しかし、実践させるだけで放っておいてはいけません。できるかどうか、またどうできるかどうかをしっかり見守ってあげなければいけないのです。

任せっぱなしは厳禁です。できないときは適切に指導するのです。

また、その人の心のレベルと仕事の実践力のレベルの両面において、それぞれのレベルに合わせて実践させることが大事です。

心が高まるように仕事を与える場合、仕事の実践力がつくように与える場合、また心と実践力の両方が向上するように与える場合と、その人のレベルや状況に合わせて臨機応変に与えていくのですね。

そして、もしも失敗したら、責任を取ってあげればいいのです。

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2017年5月11日 (木)

604.「むしる」という愛情

前回のブログNo.603「さらけ出すと楽になる」を自らできない人に、周りからさらけ出させてあげるという方法です。

これが「むしる」という師匠の教えですね。

自分をさらけ出すことはとても勇気のいることですから、普通はなかなかできることではありません。

そこでその本人がさらけ出せないことに敢えて言及していき、それを一つ一つさらけ出させていくのですね。そして丸裸にしてあげるのです。

師匠はこれを「心のパンツまで脱がせる」という面白い表現をされます。

これが一枚一枚むしっていく、いわゆる「むしる」です。

例えば東大や早稲田大などの一流大学を出た新人がいるとしましょう。そしてその新人が俺は二流三流大学とは違うんだという、自負でなく見栄をもっていたとしますね。

すると、できる振り、優秀な振りをしたりします。

しかし経験がなければ、たまたまできることはあってもコンスタントに結果を出すことは難しいですね。ましてや二流三流大学なら尚更のことです。

それを愛情をもって解らせてあげて、気持ちを楽にしてあげるのです。

敢えていいますがこれはイジメではありません。解らせて心を自由にしてあげる、心を楽にしてあげる愛情なのですね。

だって家族や仲のいい友だちだったら、さらけ出しても気にしませんからね。

でないとつまらない見栄が邪魔をして、自分を繕いながら不要な背伸びをして振る舞ったりしますから、成長の効率も悪いし、無駄な行動、失敗も多くなります。

我が子のように、「知らないことは恥じゃない、できないことは恥じゃない、やろうとしないことが恥だ」と教えて安心させてあげて、成長へと導いてあげるのですね。

ただし、普通はこんなことをすると嫌われますから、それを敢えてやってあげようなんて真の愛情、真の勇気はなかなか湧いてくるものではありません。

本当にその人の成長を祈ってあげるのであれば、人間力と仕事力を身につけて、むしってあげる勇気を養っていくのが真の愛情でしょう。

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