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2015年2月26日 (木)

489.理入と行入

自己修養の入り方に、「理入」(りにゅう)と「行入」(ぎょうぎゅう)の二つがあるという話です。

これは、達磨さんの『二入四行論』(ににゅう しぎょうろん)からきていると、20年くらい前に臨済宗のお坊さんから教わりました。

「理入」は、理論、理屈から入る。

「行入」は、実践、行動から入る。

ちなみに「四行」は、行動から入る「行入」には四つの行があるのだそうで、この「四行」については勉強不足でよくわかりません(苦笑)。

さて、理解するまで行動に移せない人は徹底的に理解できるように時間をかけてもいいですし、まずはやってみようという人は行動から入ってもいいのですね。

でも私の経験上、真の理解に達するのはかなり難しいですから、まずはひたすら行動を繰り返し、徐々に理解を深めていくのが無難だろうと思います。

それはスポーツ選手がいきなり一流選手になることは滅多になく、三流、二流と徐々に練習や試合を重ねていきながら成長していくようなものですね。

「平成」の元号をつくった安岡正篤さんの「知識」「見識」(けんしき)「胆識」(たんしき)という言葉がありますが、「知識」として得たことが「そうだ、そのとおりだ!」と信念にまで高まったものが「見識」、そしてその「見識」の通りに行動できる胆力(勇気)が身についたものが「胆識」で、最終的にはこの「胆識」にまで高まらないと修業は終らないのです。

私は師匠からこの「知識、見識、胆識」を教わって十数年になりますが、最初のころは「知識」を「見識」に高めていこうと必死にがんばっていました。

しかし、なかなか「見識」に高まらず、ゴールの「胆識」にはいつまで経っても辿り着かなかったのですね。

それで仕方なく、理解ができていなくても、まずはやってみようと行動へと入っていったのです。これが「行入」ですね。

すると上手くはできなくても、やっているうちにだんだん理解が進み、結果として「見識」へと高まってきたのです。

「ほほーっ、そういうことなのか!」と我ながら得心したというわけです。

だから、ほとんどの場合は「理入」でなく「行入」なのだと思いますね。

あーだこーだとツベコベ考えてばかりいないで、とにかくまずはやってみる。

この「行入」が、自分を高めていくための現実的かつ確実な方法なのだと思います。

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