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2013年4月18日 (木)

392.がんばってるつもり

「自分は、こんなにがんばっているのに・・・」と思っている人は多いと思います。

自分を認めてあげたり、自分を誉めるということは素晴らしいことですし、積極的にやるべきだと思います。だから、私は、毎日、自分で自分を誉めています。

しかし、それを他人に認めてもらうとなると、ちょっと話は違ってきます。

「がんばっている」という概念は自分の感覚ですし、われわれは社会の一員ですから、「がんばっている」かどうかは、自分でなく周囲の人が決めるのですね。

ほとんどの場合、自分は「がんばっている」つもりでも、周りからみるとそれほどでもないのです。

このことにハッキリ気づいたのは、経営塾の師匠から学びをいただくようになってからです。

それまでの自分は、同業者や周囲の人と比べて、客観的にみても、量においても、質においても、圧倒的にがんばっていたので、自分は「がんばっている」という絶対的な自信がありました。

しかし、師匠や先輩たちは違ったのです。

時間の長さだけでも私をはるかに超えていましたし、質の高さにおいても半端じゃないのですね。

質というのは、ある表現をすると誰のためにがんばっているかですが、世の中には自分のために一生懸命がんばる人はいくらでもいますが、師匠たちは他人のために必死にがんばっているのです。

社員、お客様、関係者、地域、世の中・・・。

13年前、私はこの師匠たちの姿を見て愕然とし、自分のやっていることが「何とちっぽけなことか」と情けなくなりました。

以来、少しずつ、他人のために時間を費やすようになりました。

世の中には、自分が気がつかないだけで、人知れず、他人のためにがんばっている人がたくさんいます。

その人たちは、世間の人が寝ている間、遊んでいる間、呑んでいる間、休んでいる間、自分自身の身の回りのことをしている間も、人知れず、他人のためにがんばってくれているのです。

自分のがんばりを、自分の低い利己のモノサシで測ると「がんばっている」と勘違いしてしまいますが、天の高い利他のモノサシで測ると、それはけっして「がんばっている」とは限らないのですね。

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