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2007年9月27日 (木)

102.強い男は・・・

K先生からの数年前の年賀状に、「強い男は ・ ・ ・ 」という詩が載っていました。

ジンときましたので、手帳の中に入れて、気がついたときに見るようにしています。

この詩は、原田大助君の「さびしいときは 心のかぜです」(樹心社) という詩からの抜粋でした。

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強い男は 休まない事  

強い男は グチグチ言わない事

強い男は やさしい事

けっこうしんどくても そう思わない事

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「男は、強くなければ生きていけない、しかし、やさしくなければ生きる資格がない」というレイモンド・チャンドラーの詩のことばを引用して、我が師匠の京セラ・稲盛和夫氏が教えてくださっていますが、真の「強い男」って、そういうものなんだろうなと思います。

私も、真の「強い男」になりたいと思います。

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2007年9月20日 (木)

101.現金を数える

あなたの会社では、毎日現金を数えていますか?

「うちは現金商売じゃないから、数えてないよ」という方もいらっしゃることでしょう。

でも、業績が良く、かつ永く繁栄している会社は、例外なく、現金を必ず数えています。しかも金種をつけて・・・。

ですから、弊社では、お客様に、毎日現金を数えて金種表をつけることをお伝えしております。

では、現金を数えても、(一見) 売上なんか増えないのに、利益なんかでないのに、なぜ金種までつけて数えるのか?

【理由1(初級)】・・・出納の誤りがなくなって、無駄な時間を排除できます。

現金出納帳の残高と、実際の現金有り高を合わせることで、出納の間違いに直ぐに気がつくようになります。現金がなかなか合わなくて無駄な時間を費やしてストレスをためている人は、決して少なくないはずですね。

金種表をつけていれば、後で、入出金に関する領収書や証憑書類をチェックすることで間違いが明解に分かりますから、経営者自らが出納をやる必要がなくなります。

これを「1対1の対応の原則」といいます。京セラでは当たり前になされている方法で、さらに「ダブルチェックの原則」によって2人以上の人の目を通っていますから、間違いはありません。安心、安心。

因みに、公認会計士監査は、「現金に始まり、現金に終わる」と言われているくらいなんですよ。

【理由2(中級)】・・・万が一のときの証拠になります。

現金出納帳だけは、銀行預金のように通帳や照合表が発行されないので、会社外部の第三者が証明するものが何もありません。現金出納帳は、極端な話、1年分を1日で過去に遡って会計ソフトなどで記帳することも可能なので、信憑性が薄く、法律上の証拠能力がありません。よって、お金を払ったの払わないのとトラブルが起きたときには、その現金出納帳は残念ながら証拠にはなりません。

しかし、金種をつけていれば、まさか1年分の金種を1年間も遡ってつけることは不可能ですし、無理矢理つけたとしても妙に整った金種表になるので、プロが見れば、後でまとめてつけた金種だと一発で見抜いてしまいます。

因みに、金種がついた現金出納帳は、刑事訴訟法323条で、「証拠力があるとみなす」と法律上の担保がしっかりついていますので、ご安心ください。

【理由3(上級)】・・・お金の入りがよくなります。(うれしいですね)

お金にも魂(心・気)があって、お金を大事にする人のところへ家族や友達を連れて帰ってくるという性質をもっています。(参照:ブログ80.「お金にも心がある」) これは、「波動の法則」があるからなのですが・・・。

だから、毎日毎日お金に感謝して大事に触れて向きを合わせたりするのです。すると不思議なことに、お金の入りがよくなってくるんですよね。出て行っても、増えて帰ってくるわけです。

また、1円まで大事に数える(数えさせる)くらいの経営者は、自社の仕事だって些細なところにまで気を配りますから、素晴らしい仕事をするに決まっています。よって業績もいいわけです。

さあ、これであなたは、毎日現金を数えないわけには、いかなくなりましたね。

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2007年9月13日 (木)

100.感謝の力

毎週木曜日の配信で、2年前からコツコツ書き始めたこのブログも、お陰様で100回を迎えさせていただきました。

人生や経営のお役に立ったらうれしいなと、勝手に書き連ねて参りましたが、「人は幸せになるために生まれてきた」と本当に信じていますので、書かずにはいられなかったというところです。

人は、絶対に幸せにならなければいけません。 これは、義務なんです。

さて、この100回書き続けることができた『感謝』の気持ちを込めて、今回は、この『感謝』の力について書いてみます。

実は、この『感謝』って、とっても凄い力を持っていて、これだけで人生が相当幸せになってしまいます。

『感謝』は、『謙虚』でなければできないし、『素直』でなければできません。『感謝』の気持ちを持つには、『謙虚』と『素直』が絶対的に必要ですから、何事にも『感謝』しようと心がけているだけで、自然と『謙虚』と『感謝』が副産物として身に付いてきます。

『謙虚』は学びのもと、『素直』は進歩の親と、我が師匠の稲盛和夫塾長も教えてくれています。

また、『感謝』は、108つの煩悩のうち最悪の3つ(ブログNo.59)といわれる①不平不満、愚痴、文句②怒り③強欲我欲、の正反対にあるものですから、『感謝』するだけで、この最悪の3つが出てきません。なんと、一石五丁です! これなら、人生が好転するのは、当然のことです。

ところで、『感謝』には、レベルがあるって知ってましたか?

初級・・・良いことが起きて感謝

中級・・・何でもない普通の当たり前のことに感謝

上級・・・悪いことが起きて感謝

このレベルの意味と理由についての説明は今後に譲りますが、有名な「般若心経」の最後の核心部分には、『感謝』が幸せを招く、とちゃんと書いてあるのです。うれしいですね。

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2007年9月 6日 (木)

99.心染み入るお通夜

2ヶ月に1度、社員全員が臨済宗の和尚様の法話を聴いて、人生や仕事への姿勢などを勉強させていただいております。

その和尚様には、私が25才のときに出会い、この20年間、いろいろなご示唆をいただいてきました。

先月、その和尚様のお父様がご逝去され、ご実家である岩手県でご葬儀がとり行われました。8月最後の日曜日、私はそのお通夜に参列させていただきました。

岩手のその地域ではお通夜という風習があまりないらしく、ご実家の菩提寺のお坊様はお出ましにならず、あえてその和尚様ご自身がお経を上げて通夜法要をされたのです。

私も、職業柄多くのお通夜、葬儀に参列しておりますが、今回のお通夜は何とも言えない、心に染み入るものでした。

親族のお焼香でのお経は、通常の漢字だけが並ぶお経ではなく、白隠禅師の「坐禅和讃(ざぜんわさん)」という平仮名が混じる現代ことばに近い珍しいものでした。白隠さんは、私が住む沼津の偉い偉いお坊さんなので、なおさら感慨深いものがありました。

また、一般参列者へのお焼香では、和尚様ご本人が参列者の方を向いてお経を上げながら親族としての会釈もされるという、なんとも不思議な形でありながら、それがまた自然でありました。

お通夜の最後も、通常のお坊さんの法話でなく、普通の一人の息子として「父との思い出」を語られました。

お通夜の起源は、お釈迦様が亡くなって皆が悲しんでいたところ、「悲しんでばかりいないで、お釈迦様との思い出を語り合おうではないか」と、翌日の葬儀まで、お弟子さんたちが夜を徹して語り合ったのが始まり、と教わりましたが、本当のお通夜というものは、こういうものなんだなと腹に落ちた気がいたしました。

和尚様のお父様のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。 合掌

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